茶臼山 幸村探訪
秋の散策。天王寺も随分と変わりましたね。
いやあんまり変わってないのかなぁ...
ただあべのハルカスがどこからでも見えるだけで。
天王寺・阿倍野・茶臼山...ハルカスが目立って仕方ないですね。
どーしても高いから。
ハルカス自体は阿倍野の方から見上げることが多いと思いますけど。
こんな感じに。
でも北側から見る方が違和感が少ないですね。
どーも、デザイン上はこっちが正面で、阿倍野側が裏なのかなぁ。
てんしば が出来て、天王寺もすっかり綺麗になりましたね。
今の動物園・美術館・庭園は元々住友財閥の土地だったかと思います。
神戸に引っ越しした時に大阪市にすべて寄付したことから整備されましたが、庭園は当時の雰囲気を慶沢園の名のまま残っています。
天王寺に行かれた方にはぜひともお勧めしたい場所ですね。平安神宮神宛、円山公園、大原三千院などを手掛けた小川治兵衛の作。
都会に回遊式のゆっくりできる庭園があるなんて...と思います。
この茶室もお勧めですね。
なかなかのものです。
屋根材、壁材がフェイクで、踏み石の上にシートを置いたりとありますが
まぁ気づかない人が多いと思います。
格子や天井の材など木材の年輪も詰まっていて綺麗な線です。
雰囲気も十分ですね。日本人より外国人の方が多いのが気になりましたけど。
では目的地の茶臼山へ…
前回の 九度山 では凄い人でしたが...
天王寺公園内にある標高26mの山...
前方後円形古墳とも自然陵ともよくわからない山です。
大阪市立美術館の北にある「河底池(愛称ちゃぶいけ)」。
茶臼山へと架かる「和気橋(わけばし)」を渡っていきます。
茶臼山へと架かる「和気橋(わけばし)」を渡っていきます。
通天閣
反対側は阿倍野ハルカス
大坂夏の陣で、敵将たちに賞賛をあびるほど活躍した真田幸村。
徳川へ寝返るよう再三誘われたものの『主君に最期まで忠義をつくし、“義”を もって 武士の本懐を遂げた武将』 とされています。
紅の旗・吹貫であたかも「つつじの花盛りのように群れなびかせた真田の赤揃」が陣を構える茶臼山の真田幸村隊(大坂夏の陣 天王寺口の戦い)
真紅に、6つの黄色銭が描かれた“真田”の「六連銭(六文銭)」の旗印がなびいていたそうです。
この六連銭は、亡くなった人の棺に三途の川の渡し賃として入れる六文銭を意味し、戦場では覚悟をもって「身命を堵して」挑むという真田家の心構えと言われています。そんな思いにたって登ってみましょう...
歳をとってくると50年、100年ってそんなにむかしなのかなぁ...と
400年前は戦国時代。
400年もそんなに昔でもないことのような。
慶長19(1614)年10月1日
徳川家康が諸大名に大坂攻めを命じ、大坂冬の陣へ。
片桐且元が大坂城を追われ茨木城へと退去しましたが、信頼できる側近がいない豊臣はいずれにしても繁栄することはなかったのかもしれないです。
家康・秀忠は11月15日にそれぞれ二条城・伏見城を出陣したそうですから、ちょうど今の時期。
家康は二条城から奈良を経て、11月17日には住吉大社近くを最初の本陣としたそうです。
秀忠は枚方を経て、11月17日に平野の全興寺に近くを本陣にしたとも伝えられています。
11月18日、家康と秀忠はこの茶臼山で軍議したとされています。
今でいえば来週ですかね。
昔は、この小高い茶臼山から大坂城が見えたとも。
12月4日、秀忠は生野区を本陣とし、
12月6日家康が茶臼山に周囲に堀をめぐらし、御殿・望楼を備えた城郭をつくり本陣を移動させたとされています...
また、翌年の大坂夏の陣では、幟・指物・具足を全て赤一色で統一した「赤備え」の真田幸村(信繁)が茶臼山に本陣を据えました。
幸村はあと一歩のところまで家康を追い詰めたとされていますが休んでいるところを討たれ、大坂城も落城、家康は茶臼山の頂上に旗を立て、勝鬨を挙げたとされています。
その後、江戸時代には茶臼山が家康ゆかりの「聖跡」として禁足地になっていたそうです。
うーん、ふーん ...
この辺りはお寺も多く四天王寺にも近い
わざわざ茶臼山にいく人は少ないと思いますが、お寺散歩のついでに寄ってみてはどーかと思います。