【古民家】何を理解し、考え、感じるのか…


最近、古民家が密かなブームなのか、カフェなどで利用されることが多くなってきているように思います。

で、茅葺き古民家のカフェがボチボチありますね。 
まーあれですね、屋根がススキなどで出来た家が茅葺きです。

チト難しく言えば、古民家とは「50年以上経った木造(ログハウス的な構造は除く)の家」とされています。

建てるときに家の周辺にあった自然材で作られた家。ですけど木で色々と工夫した建物を指しています。

基礎は石、柱や梁等支えている材料や扉が木、取り付けている釘が鉄、壁が土…
その辺にあった石、木、鉄、土・・・を都合良く、考えながら組み合わせて人が住める空間にしています。

現代の家も、材料の元素で言えば(まぁー)似たようなものです。が、昔はその土地にあったものを最小限の加工で済ましている。

昔は運搬にも限界があるし、何よりムダだしね。地震も多いからゆるく作ったり。
まー日本の加工なので、石油がない。自然になかったしね。先代の知恵の集積は、柔軟でしなやかな感じです。

そのまま自然に還ることも再利用することも容易な状態のまま組み合わさっています。
自然のまま。そこに魅力があるのかなぁ?

石や土や木なんて人間が誕生してから身近にあったしね。
だから古民家の中は落ち着くのかなぁ。
カフェって、くつろぐところですよね。落ち着きたい時に行く場所だよねぇ・・・

まぁ人間、石油のように土のソコにあるものに触れて誕生したわけでもないし。まぁ水、木や気に囲まれた方が和みますよねぇ。

でも、今ではビニールクロスじゃなきゃ家じゃない。カフェもどうかなぁ…木や土壁よりビニールクロスの方が安心する人もいそうですよね。

土壁なんて、わざわざ見に行くものだしね。壁は「白い」方がイイ?

まぁアレですね。潔癖症(気味)になったのかなぁ。清潔じゃ無きゃ嫌だと。
で、自然の木や土って、そんな不潔なの?どんどん自然と触れ合える機会がない。自然のものがよく分からなくなっているだけなのかもしれないけど。

まぁー、今はビニルクロスの方が何かと「都合がイイ」のだよね。
50年後もビニルクロスなんかなぁ・・・パネルみたいなものか、全然思いもつかないものか、今のままか。。。

その頃、ビニールクロスのカフェなんて懐かしい・・・ってなるのかなぁ。ならないような気もするなぁ。人と同じで騒がしいカフェは中身が空っぽなような気がしますしね。

でも、扉や襖などの建具なんて全然変わってない。
細かな点を除けば、もう”大きくは”千年は変わってないのではー。
建具はなんで今も一緒なんだろう。千年も。
襖なんて、少しは変わっても良いようなものだけど。木と紙、まぁ木ですね。ほぼ木というか。
まぁ動く壁な訳で、襖である必要もない。けど、この先、更に千年も一緒なのかなぁ。今のままか。。。
よくよく木が何かに置き換わっているかを考えてみると、木電柱や側溝蓋もその昔は木でしたよね。枕木なんかも。日常でも桶(おけ)や枡、じゃもじや箸なんかも木でしたしね。
まぁそれなりには材料だけは変わりそうですな。都合のよい材料に。

で、古民家の話でしたね。
何で今、注目されるのかなー?江戸時代に安土桃山時代や鎌倉時代の民家に注目した一般の人がいるとは思えないのに。
江戸時代に鎌倉茶屋が流行ったなんてあったとも思えないし。まぁ戦後ですよね。人口増にポンポン家建てちゃったけど、随分壊したりしたしね。
仕方ない面が多いけど、残った建物はなるべく残そうなんて、バブル弾けてからか、バブル時代に生きた違和感か、そんなこんなで地道に活動していたのが今になって注目されているような気もしますね。
社会はどんどん変革していくけど、立ち止まる瞬間や振り替える瞬間が必要なのかもしれないですね。そのな時期に今、生きているのかもしれないです。
まぁ複雑に社会が変わり続けていますよね。時間の流れが一方向じゃ無くてごちゃごちゃに。
何かのきっかけで、これからは一瞬で価値観が変わる時代になるかもしれないし、立ち止まらないとどこに行けば良いのか分からなくなるかもしれないですね。

前をむいているつもりがヘンな方向だったりと。振り返っても過去が後ろの一直線になく、どこだったか分からなくなったり、自分が今いる位置が分からなくなったりと。
そんな時、古民家の中に避難して一時を過ごすと気持ちが落ち着くような気もします。

古民家が生きてきた時間軸の中では、人の一生なんて一瞬の幻かもしれない。
人は永遠には生きられないし、同じ人間でありつづけもできない。けれど、人には永遠に変わらない記憶を持つことは出来るので、落ち着いて今を考えてみたり。
古民家の中に入ると、人を許容する時間が流れているような気がします。