高すなわち技をナス



・・・画面見て「まぁ、普通?、変換出来んかもナ」
鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)と打ち込んだつもりで「変換キー」
パンッ!



我が、ATOK PRO・・・変換結果自体は「まぁ…良し」として。

その昔、日本では「鷹」とは「オオタカ」を指していたようです。

京都で勤務していたときには、建物を建てると「オオタカ」と自ら呼ばれていた市民団体さんのような方々からお叱りを受けたものです。

当時は、人間の開発により生息数が少なくなり、開発行為に反対の姿勢だった記憶があります。
そのオオタカ・・・今では増えすぎているらしく、人間にとって外敵な存在という話も出てきているようです。

今では日本古来のシカや、海外からのブラックバスなんかも同じく、人間により迷惑な状況になっています。

もし、人間が、自然の一部であるとすれば、人間により絶滅するのも自然の一部でしょうし、増えるのも自然の一部・・・
それに(仮に)人間自身が戦争や核で滅んだとしても自然がバランスを取った結果なのか・・・と。

しかしながら、犬や猫、家畜のように、人間と共に暮らしてきた動物にはチト可哀想な解釈になる場合もあるかもしれないです。

それに、その「自然」という解釈も随分と人間にとって都合の良い存在にも思えてきます。

神に代わるようなどうにでも解釈できる存在「自然」。自然を守らなければいけないという人間の解釈はどこから出てきたものか。
それほど、「自然」は弱い物なのか。

災害が起きた瞬間には「自然」の脅威と言って、人間にはどうにもならない存在に奉り、人間にはどうしようもないと言えば全てが納得出来る懐の深い存在。

要は、人間の都合の良い解釈に使われるのも「自然」なのかもしれないです。

いやいや、自然の話を記録したかった訳じゃない。日は短くなっていくけど、暑さはこれからが本番。そして、季候は「鷹乃学習」。

今は、江戸時代でもないので「鷹狩り」なんて需要はない。当時は、今のおやじゴルフと一緒の楽しみだった武将の鷹狩り。

今はオオタカ需要なんてないから、絶滅しても困らない。

減っていっても気がつかなかった・・・のでしょうけど、それを踏みとどませた理由は何だったのか。

自然の一部としての配慮なのか。それじゃ自然は人間次第になってしまう。

そもそも定義がないんじゃないの?「自然」なんて、人間が作り出した妄想なのかもしれない。

今日の日記は、ATOK PROの変換で「たか」が「高」で、「鷹」と変換出来なかったことを書きたかっただけの1日だったことだけど。