神戸の民家



神戸は、1868年(慶応三年)の兵庫港開港以来、港を中心に国際港湾都市として発展。開港により六甲山・南側の港町は北野の異人館や旧居留地など近代建築も多く建築され、商工業の発展した港町神戸の顔となりました。

そして、神戸には古くから大きな農業生産を誇る一面も。六甲山より北側には豊かな自然に恵まれた農村風景が広がります。都市部から直ぐ近くに農村があることから、物資・人材の面で港町の発展に寄与してきた地域といえます。




過疎が進む地方では多くの茅葺きの民家は姿を消していますが、都市部と農村部が近く同じ文化圏である神戸では今なお多くの古民家が残されていることからも分かります。特に、北区(淡河町と山田町)と西区(押部谷町と神出町)では茅葺き民家が今でも見られます。

しかしながら、その数は昭和40年代には全体で1900棟以上(江戸時代が1/3、残り明治以降)あったようですが、平成4年には1200棟、今では800棟程度と残っている民家は全体で4割程度になっており、更に古い建物ほど残っている数は少ないと推測されます。

現存する日本最古の民家である箱木家住宅(国指定重要文化財、通称「箱木千年屋」)があるように、伝統文化を維持する風土がありながらも古民家を残すことは社会の変化と共に難しさがあるようです。


民家の平面と屋根

神戸の民家は、平入り、妻入り※の両方の民家が残っています。

(※民家の正面は、玄関(主要な出入口)がある面を指します。玄関が棟の面(棟と平行)にある場合は平入、棟と直角の側(一般に幅の狭い側)にある場合は妻入。

妻入民家は北区の東部(旧摂津国)の地域にあり、北区西部(淡河・山田)と西区の旧播磨の国地域にはほとんどありません。旧国境で平面が違う文化があったようです。

妻入りは格式を表す形式で、板葺き切妻の屋根形式が多いとされています。葺民家における妻入形式は、全国的には京都を中心に分布。

妻入のなかでも、縦割の片土間(摂丹型)は、北摂から丹波にかけてあり、その他の地区は、ほぼ前上間型とのことです。北区東部の平入民家と混在している妻入民家は、極めて持徴的な平面形式の民家だそうです)


現存する民家の間取り(一間~九間)は、全体の6割以上が四間(土間と田の字の間取り)間取りだそうです。また、六間取りは妻入民家に多く(妻入民家の5割)、全体の2割になります。旧摂津国地域では六間取りが主流だったようですが比較的新しい民家に多いようです。

また、神戸で現存している茅葺民家の屋根の形は、妻入、平入共すべて近畿地方では一般的な入母屋造(寄せ棟の上に切妻を乗せた形式)となっています。

屋根を支える小屋組は、束組(つかぐみ)、叉首組(さすぐみ)、束組・叉首組併用の三形式があります。

一七、一八世紀の民家はほぼ束組であり、叉首組と束組・叉首組併用は一九世紀に建築したものに多く見られます。

束組の中には。オダチ・トリイ組※の構造を持つ民家が数棟あり、いずれも一七世紀から一八世紀にかけて建築されています。日本最古の現存する民家である箱木家住宅も同様の構造になっています。

(※小屋組は、梁間中央に置かれた束踏(つかぶみ)に三本の棟束(むなづか、丹波地方ではオダチという)が立つ。

この棟束に貫(ぬき)を通し両側に立てた母屋束と繋いで補強。この補強材が鳥居の形をしていることから、オダチ・トリイと呼ばれている。叉首組よりも古い形式とされています。)