私の形式の中にいる私


『才能がなくなると、形式が始まる』(マックス・リーバーマン)。形式つくりは退屈への道なのか?

ジョン・B・ボガート『犬が人に噛みついてもニュースにはならない。日常茶飯事だからだ。だが、人が犬に噛みつけばニュースになる。』



形式に「新しい視点」を入れると「新しいもの」になる?


ウィリアム・シェークスピアは、「さらに良くしようとして、良いものを駄目にしてしまうことが多い。」と言いますが、既存のものに何か新たな視点を入れると、何か別のものが生まれる。

形式をかたち作る公式に、新しい要素を入れて別の公式を生み出しても良いし、いくつか公式を組み合わせて新たな形式を生み出すのも新しい取り組みになります。

自分なりの香辛料作りというのか、my七味みたいなものを作る感じですかね。

ウィルソン・ミズナーも「一人のライターの文を使うと盗作となる。しかし多数のライターの文を使えば研究調査となる。」と言ってますので、全く新しい発想力だけが全てという考えより、既存を形作るものの中に新しい発見をすることにも意味があるように思います。

島崎藤村は「古いものを壊そうとするのは無駄な骨折りだ。ほんとうに自分等が新しくなることが出来れば、古いものは壊れている。」というように新しい取り組みの成果は、既存の中のいずれかの形式が崩れ、新たな形式が始まることでもあるかもしれません。

形式に何を入れるかは自分次第ですよね。既存の形式に飲み込まれ、頭が固くなると今までのことに固執してしまいます。
常に新しいものを受け入れる考えも、大事なのかもしれませんね。 

「自分を好き」になると人生が楽になるような気がします

何だかんだと自分自身を受け入れない、認められない人が多いような気がします

今の自分が「理想の自分」「あるべき自分の姿」と違うと思っている人っているとは思います。が、普通は「今の自分」って・・・案外、意識していない姿なのが普通かもしれません。
イライラする人や鬱になる人は結局のところ、「今の自分」が自分と思っていないのではないかと思います。受け入れていない。
今の自分に何か新しいことを入れる視点があれば面白い自分を発見できると思います。さらにそんな自分を自分が受け入れられたら、もっと楽しい人生がまっているような気がします。
これまで生きてきた中で、自分が自分につくった自分公式。何か新しいものをいれないと、単に呼吸しているだけの生物になっていくような気がします。
良い歳の取り方は、退屈な形式に埋もれ、ただ呼吸しているだけの状態から、まずは脱することかもしれません。

日々、自分公式に何かを入れてみて楽しむことこそ人生を楽しむことの一つかもしれないです。