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ル・コルビジェ「建築か革命か」




人々に物質的満足を与えて、革命から社会を守る。建築(家)とは一種のガス抜き逆に、建築をつくることで社会意識が高まって、革命に向かっていったのが日本の団地。ソ連は団地の建設以前に革命があり、労働者に満足を与えるものとして建築が機能していたが、日本は逆に団地という建築が革命的気分を用意した。


都市では、生活基盤の変化に合わせて別のところへ移り住む。そこを逸脱して「住宅私有」というパンドラの箱を開けてしまったことが、その後の集合住宅をめぐる諸問題の根源。公団も自分たちが経済的に存続するために資金を回収できる安易な道をとった。住宅私有で得られる安心感はフィクションでしかない。

パンドラの箱は1度しか開けられずに、あとは(公団は)空気が抜けていくだけ。世界の分譲型集合住宅で資産価値が上昇を続けるものはほとんどない。にもかかわらず、私有というフィクショナル欲望をエンジンに、経済をまわすところに(公団の)根本的矛盾がある。




柔軟性と多様性


日本家屋のインテリアは、前もってプランを設定していない。はじめからフレキシビリティを許している。何せ狭い、だからこそ選択の幅は広い、という矛盾が埋め込まれている。

ミース・ファン・デル・ローエ(ドイツ)はユニバーサル・スペース、どんな生活が入ってきても、自由に空間を組み立てられるように工夫した。日本建築から着想を得たともいわれている。




高度成長期時代の基本的理論は 開発の理論 で、その前提には自分たちの資産があまりにも貧しいという事実があった。

二、三十年でまず巨大なフローを起こそうと、そのときの既存ストックを徹底的に壊していった。

ところが、そうして築かれたものも社会資産としては流通しない、次の世代に渡せないものだった。
世代が代わっても相変わらずゼネコン頼りで壊し続けて資産は少しも蓄積されず、街並みも貧しいまま。ヨーロッパがアメリカに対してあれほど豊かなのは、数世代を経た蓄積を重んじているから。サスティナビリティという概念がヨーロッパから現れたのも必然。

日本には特殊事情がある。木造建築が火事や地震のために二、三十年単位で更新され続けてきた日本では、「もつ」「残る」というと、コンクリートで固めた箱物を起想させ拒否反応がでる。

あるいは自分が建てるものが長く残ればよいというエゴイストとしかみられない。サスティナビリティがエゴイズムと混合される。


ヨーロッパの建築コンペでは、どんなに斬新に見える案でも「時間の継承」という側面がないと勝てない。

日本はいまだに火事と地震で更新しつづけている都市像を引きずっている。

1966年に制定される新都市計画法の原案段階では、敷地単位の建築確認をやめてイギリス型の計画許可制度導入が検討されていた。これは基準の事前確定性を重んじた建築確認では、地区毎の空間秩序に応じた裁量がないという意味で正解だった。

ヨーロッパでゾーニングが意味を持ったのは20世紀初頭、まだ組積造をベースとする箱型建築が確固として存在していたとき。

日本はそもそも組積造がなかったし、建築は「箱」という型式とは異なる「屋根」という形式で作られてきたから、都市の基本形をつくるOSがまったく違っていた。そこにゾーニングという応用理論をもってきたからうまくいくわけがない。




建築家は建築家のために建築を考えてきた。内輪だけで通用する「社会」という架空のフレームを使って、この建築は社会のために作られたとそばらしいものだと説明してきたけれど、一般の人は「なんだ、これは」としか思わなかった。


「何となく」人が集まる場であることは、公共建築の大事な条件。日本では、スペースの機能が明確化されていればいるほどいい建築だとされてきた。用途の明確化。



近代の都市は、近代の建築は、境界は重要な問題。昔の日本家屋は、何段階か庇が出ていて、縁側があって、障子があって、襖があって・・・と、奥へ奥へと自然をグラデーションナルに取り込んでいくかがうまく考えられていた。



ところが現代建築の根本には「切り分ける」発想があって、そこでは、部屋と部屋を区切ることで、より機能が発揮出来る。