夏休み 読書5 ある日の村野藤吾




夏休み 読書5

「ある日の村野藤吾」 編)村野敦子

孫である写真家 村野敦子氏が編集した村野藤吾の日記、手紙を編集した本で、村野藤吾の生々しい気持ちが記されており良い本に巡り会えた。

村野藤吾は、早稲田卒で大阪に事務所を開設し、宝塚に自宅を構えたことから、私には目に触れる機会が多い。宝塚市役所は卓越した庁舎と言い切れる。近くには教会もあり、造形には普通ではないことは誰もが思うはずである。んっ!なんだと誰もが感じる建物が村野藤吾であろう。個人的な好き嫌いでいえば、残念ながら好きでも嫌いでもない・・・。

そんな印象を思っていた村野藤吾であるが、旅の日記を読んでいるうちに肉声を聞いているような錯覚が起きる。『・・・そうでもないことを知って得るところ少なくないことを喜ぶ。』『良き対象となる本のようで参考になることを喜ぶ』など人間的であり、謙虚な人でなければ書けない感情であろう。食事のまずさや料金、ホテルマンのチェックなども旅行記としての面白さも加わる。

赤坂離宮(迎賓館)の為に訪れたベルサイユ宮殿で「批判でもでたら責任を逃れることが出来ない。よければ建設省が名をとり、悪ければ責任を負うことは必然であるにしても、どんな下積みの仕事をしても、殿下のお言葉通りにやり抜きたいと思った。」など気持ちの露呈の仕方も正直な人と思う。
そして、最高裁の審査員は重い試練とあり、相当な苦しみが記されている。人間としての邪念から、胸を突き上げられる感情を抑えきれない苦しみを感じるとある。純粋な気持ちで建物をみえない葛藤。

住宅建築における難しい施主との関係や苦悩も生々しい。あとで感謝を期待することなど、とんでもない。賢人でありたくなし、もとより卑屈になるには私にはプライドがあり過ぎる。この施主の性格から「これが村野さんの作かと人がいうからね」は、作の善し悪しと誠意を混合したがる自らの性格を考えるとある。

私が生まれた年にはすでに81歳。当時既に経済至上主義の日本の傾向に、うっ積した矛盾の結果を恐れるとある。公害の汚さより人の心のひどさを嘆いている。そして、赤坂離宮の仕事が終わる年度とある。この本を読む限りにおいて、バッキンガムは見るべき建物なのだろうと思う。

最後の締めくくりが赤坂離宮。『この建物の営繕についてはチーフ・アーキテクトとは分かっていても、その地位は不確かあるので、いつ何時第三者の手にわれわれの図面が渡って実施に移されても、恥ずかしくない図面を描きたい旨を幾度も事務所諸君に言い聞かせた。建設省の人たちは良い人たちばかりであることは意外であった。役所の仕事をしたことがない私は、初めから役人を毛嫌いしたこともあったが、ここの善良な人たちは非常によいと思った。誠意を尽くせばなんとか困難は通り過ごせるものだと思う。私の建築家としての仕事としては、恐らく最後を飾るにふさわしいものであったと思う。』