夏休み 読書4


村野藤吾 『様式の上にあれ』


建築一語/商業的一面

 C「フランス風を加味したんですが、国民性と時代と環境に合った合理的建築ですから」
A「私の方は、何式でもいいんです。一番もうかるやつがいいんです。客が集まるようなのがいいんです。」 

C「低級な趣味は結局いけないんです」 

A「私には低級が何だか分かりません。多数の客が好いたもの、一番利益のあがるものがいいんです。またそれが一番高級なモノだと私は思っているんです。」 「高級とは・・・高級とは、一体どんなものが高級なんです。いくら高級だって損をするような高級が、いまどきなんになります」 

C「あなたは教養がありません。教養のないひとには分かりません。」


A「自分勝手な高級や教養がないんです。言葉や技術にかくれた教養や高級が一体なんの力があるんです。  このカフェは一体だれのものです。あなたの高級や教養はご自身の家を建てるときに使ったらいいだろう。私はあなたに設計料を払っているんだ。  金を払って、あならのお草紙になりたいために頼んだのではないんです。」


C「建築は、建築家の人格を表現するものです。」


A「他人の建築を建てておいて、自分の人格を表現するんだと・・・!!誰がそんなことを頼んだ。この建築を一番よく知っているのは私です。  私の考えを表してくれませんか。」


C「科学が進歩したいまごろ、あんな旧式はやれません。」


A「学問がすすんだからこそ、どんなものでもやれるようになったんじゃないか。学問が進んだから旧式なものはできないという理屈はありません。  なぜBカフェが古いんです。私に言わせると一番使いどころのあるものが、一番新しいんだ。客がこないものが何になる。あなたはペテン師だ。  人間を知らない人だ。古いも新しいもあるものか。」


C「僕は新進の建築家だ。僕の建築理論は建築界を指導しているんだ。頼んだ以上、設計料は返さない。返す理由がない・・・」


いや~確かに…ありますね。建築文化として。流石、大先生。はっきり指摘します。共倒れの精神を建築家は期待しているんでしょうが、仕事の内容もよく考えないといけませんね…