社会福祉論
福祉◆社会福祉論
社会福祉論
グローバル化の現在、公共事業で完全雇用を目指すケインズ主義を採用している国はない。サッチャー改革の継続版である新自由主義も合成の誤謬に至っている現在、選択すれば社会不安になる。
小泉内閣の「改革無くして成長なし」は、潜在成長率が3%程度の先進国において、改革しても3%しか成長しない政策であった。社会保障の安定なき改革(競争)は社会不安により、民主党に変わったが、統治能力の面、党内向きの恣意的政治により自ら崩壊した。
安倍第二次内閣は、資金増量のインフレ政策をとる見込みであるが、先進国の成長率は無いに等しく、需要が無い中での資金の増量は、生産に向かわず、投機化に向かう懸念がある。
今までの日本は、金融緩和しても国の借金は国債(国内の貯蓄でまかなう)に向かい、帰結として円高要因になった。小泉内閣の郵政民営化の本質の一つである財投資金の遮断も財務省が先に財投改革により、市場を介した国債による資金供給を開始し、公団等の赤字公共事業は無くなることはなく、財務省の権限は従来同様のままである。
今現在の国の政策において、前提に立っている考えは、経済成長を前提としている点であり、成長しなければ矛盾が出る。確かに今までの日本は、物価・所得・人口が急激に上昇する高度成長期あった。享受する人口が後世の方が多ければ分かる。年金などの賦課方式は積み立て人口が多いことより将来のインフレ率、積立金の社会の投資など賦課方式にメリットがあった(随分昔の話しであるが、未だにその方法を継続中)。
しかし、先進国は低成長期であり、日本はゼロ成長(成長しない)と考えて、政策を組む時期である。賦課方式は人口構成に依存する。生産年齢人口は減り続ける見通しの中で、過去の借金・現在の政策維持の借金を現在の個人資産と置き換える政策があるわけでもない。常用雇用が前提の社会保険は支払いをしていない非正規社員の急増で空洞化している。競争社会において、安定した社会保障の確立(安心して競争出来る社会)が急務な時期に公共事業での雇用創出で安心した社会が構築出来るか疑問がある。
社会保障の安心が国家の安定を生み、投資を呼び込むことは北欧の例からも一定の結果が期待できる。結果として効率的な国費の使い道であると解釈出来る。しかし、日本は社会保障費の縮小、公共事業の拡大を選んでいる。復興特需の後の政策転換を今決めておかなければ不安定な政治の繰り替えし(またか・・・)がくる。
社会保障論 概要
1.ヨーロッパ福祉国家における社会福祉政策論の変遷について
第二次世界大戦後、福祉国家を目指した先進資本主義国家は、3つのステップを経て、3つの異なる方法で福祉国家を目指している。
従前は、社会が成功すると福祉国家となる。政策は、一つの方法に収斂すると思われていた。しかし現在、福祉施策は国毎で違う。社会安定の扶助か経済成長の補助的機能か明確な答えは見つかっていない。
過去の施策は短期間(20年程度)でしか成立せず、3つの変遷をたどった。答えは見つかっていないが、社会保障を放棄する選択肢は選んでいない。歴史の産物といわれる社会保障政策。先進資本主義のヨーロッパ福祉国家はどのような道筋を経たのか。
第二次世界大戦後、先進資本主義国家は福祉国家を国是とした。この時、ケインズ主義 (経済政策※1)とベバレッジ主義(社会政策※2)が福祉国家の理念を支えた。
これは、資本主義は経済主義からきている。経済は、民間経済が発展することが基本。発展は、最終需要である家計消費の裏付けがなければ経済サイクルの循環に入らず、投資による経済発展は失速する。経済状況は浮き沈みがあり資本主義の危機を回避する為、社会保障政策を組み入れることにより国家の安定を目指した。
この2つの理念は、戦争による国家の拡大から、民間による所得需要の拡大を通して貧困回避と経済拡大による福祉国家がヨーロッパに拡がり国民国家へ変貌した。この過程においては戦争を通じての国民連帯とブレトン・ウッズ協定下での事実上の一国封鎖経済により、福祉国家の発展を助けた。イデオロギーの終焉、資本主義の黄金時代であり、利益対立を避けつつ経済発展が可能な時代であった。
しかし、この2つの理念に支えられた福祉国家は、民間の利益を公共事業等による利益再配分を行う形で実践された。圧力団体に応じて配分することが政治の役割となり配分先は増えるばかりであった。
ここに第1次オイルショック、ブレトン=ウッズ体制の崩壊を契機に低成長下でのスタグフレーションの状況となり、再配分を行う高コスト社会を維持できなくなった。福祉国家は、政府の巨大化を生み、圧力団体が生み出す公共事業は、需要と目的のギャップが生じた。これらは経済危機に荷担をした。貧困対策は、道徳的な退廃を招き社会秩序の点からも内容の整理が必要とされた。
※1 ケインズ主義
自由経済を修正し雇用を重視した社会を提唱した。国家が支配・管理をせず経済と政治を切り離した自由競争による経済発展を通じた国家の発展には、右肩上がりの経済成長が必要であった。ケインズ主義は、危機的な状況になる前に国家が経済に介入して、需要低迷下では国家が公共事業等で需要を起こし雇用を確保することにより、完全雇用による経済の安定を確保することを目的とした。
※2 ベバリッジ主義
資本主義では、労働者は労働力を社会に売買することで対価を得るが、完全に人という個人と労働力を分離出来ないことから、労働者保護として規制がなされ資本主義の維持装置としてきた。これを国家政策として格上げし社会統合のシステムと変容すべく、貧困をなくしナショナルミニマムを保障して底上げ方式で豊かな社会を創ろうと提唱した。背景には当時の英が独との戦争に備え国が一つにまとまる必要性から、チャーチル政権下で戦後の荒廃した国家を立て直す政策としたベバリッジ報告がなされたことによる。
資本主義の黄金時代は去った。1970年代後半から80年代初頭に福祉国家の危機打開モデルとして3つの方策がとられた。
1つめは、フランスなどで実践したケインズ主義の徹底である。フランスは1981年からミッテラン(社会党)による改革(初期)が実施された。財政支出の拡大、金融・産業の国有化、ワークシェアリング、年金拡充を実施したが2年で立ち行かなくなった。競争力の低い国内企業による需要拡大策は、競争力に勝る外国製品に敗れ、輸入の急増、資本の海外流出をもたらした。フランは輸入が急増しているにも関わらず自国通貨が急落した。一国閉鎖経済でない時代にケインズ政策は無力であった。
2つめの方策は、イギリスのサッチャーによる改革である。サッチャーは小さな政府・財政均衡を目指した。この改革は、4つの柱(「個人の労働意欲の増進」「国家の役割減少」「財政赤字の縮小・民間部門の拡大」「労働組合の力の抑制」)からなり、25%・年を超えるインフレの英国病と呼ばれた経済を立て直した。特に財政支出の縮減では、国営企業の売却により国の負債を減らした。財政指数を変えず運営しGDPで2倍の赤字を減らした。また、社会保障改革では、サービス提供の民営化、実物給付から所得保障と内容を変化させた。私的年金への移行を可能にし、国民医療についても民間の参入を促した。これらは、完全雇用を目標とせず、経済復興による雇用の創出を目指した。圧力団体に屈しない強い政府は英国病を克服し、一定の成果を得た。
3つめは、スウェーデンに代表されるネオ・コーポラティブ(※3)的再編である。スウェーデンも当初、フランスと同様に社会保障の充実・減税を柱とした政策を行ったが経済政策の失敗、第二次オイルショックを得て1982年より負担を分かち合う政策として基金を設立した。政府・労働者・資本家の各代表による協議で利害を調整し、政策の合意決定を行う寡占的な政治システムであり、国会は事後承認の機能となり民主主義の否定とも解釈もされる。当初インフレの下落などの効果を得たが、自由競争の要求、各代表に入れない利益団体の不参加への押さえ込みなどが、徐々に困難になっていった。
※3 共同体主義(コーポラティブニズム)は、世界で始めて強制加入の社会保険を創設するなど社会政策を行ったビスマルクの帝政社会主義でも同義を使用する為、区別のためにネオ・コーポラティブとなる。
先進資本主義国の共通点として、経済成長の抑制要因に出生率の低下による人口構成変化がある。若年層の減少と高齢化。移民による雇用の奪い合い、環境問題による大量消費型国家の否定により、社会保障の充実は、直接的に社会コストの増大であり競争力の低下を招いた。人・モノ・金のボーダレスが進むグローバル化の中で福祉施策は国毎に違う。この時期、英国の政策を取り入れた米国が再び世界経済の王者になった。
イギリスは、1987年サッチャーが再選挙で勝利し、メイジャーへと政策は引き継がれた。1997年労働党のブレアに変わるが財政緊縮の経済政策などサッチャー路線の継続を行った。福祉政策においては、資本主義における救済者を地域のステークホルダーとして活用するなど福祉政策の修正を行い第3の道(新自由主義)で福祉国家を成立させた。
対してネオ・コーポラティブ社会は、失業率(スウェーデンで7~8%)が改善しなかった。競争力のある企業は多くの就労を必要としない。賃金抑制、各代表も重厚長大型企業から時代の変化と共にサービス業の発達等で寡占が難しくなり崩壊をしていく。
これらを経て、今現在のヨーロッパの福祉国家は3類型に分かれた形で進んでいる。いずれも雇用の維持、福祉コストの削減、付加価値税・新たな中立増税により社会保険料編重の見直しが取り入れられている。
3類型の一つ目は、自己責任が原則、新自由主義の継続である自由主義。イギリスが取り入れるこの方策が90年代唯一生き残った政策(マクロ経済で約3%成長)である。しかし雇用の拡大が起きず、成長を皆が実感できない問題点がある。勝者なき競争政策で格差・社会の不安定が生まれた。世界が成長している間に有効な政策であり、成長なき時代では政策として不足がある。
二つ目に北欧が取り入れた施策として、国民全てに福祉がある普遍主義型。現在は、経済の安定の為、一定の給付はされるが皆が完全平等な保障ではない。社会コストが大きい方法である。給付を押さえつつ福祉への個人の支払いに応じて給付変動を取り入れ継続している。スウェーデンでは、勤勉な国民性、社会の安定によりカントリーリスクが低いことによる海外からの投資が増えている状況がある。
三つ目にドイツ・フランスで取り入れている施策として、労働者が独自に創った原点に戻ろうとしている保守主義型。保険料は常用雇用にのみ適用され税で保障される内容と厳密に区別されている。これら3つは、給付に対しての負担方法をめぐる区別である。経済成長にも依存するものであり、社会保障政策と経済政策は同義であり労働保護政策から社会としてのインフラ政策へと変遷をたどってきた。
2.近代日本における社会保障政策の変遷
近代日本の政策変遷は、5つの大きな区分けが出来る。
1.戦前における社会保障の前史
2.戦後の混乱期に生活保護を主とする社会福祉の要請に伴い制度の形が出来た時期
3.高度経済成長からオイルショックまで続く、経済の成長と伴に社会保障が拡大された社会保障中心時期の時期
4.オイルショック後から1980年代におけるヨーロッパ福祉国家の危機の時代における日本の福祉政策見直しの時代
5.バブル崩壊から失われた10年と言われた1990年代以降、社会保障の根幹が揺らいだ再構築の時代。
2-1.社会保障の前史
日本では戦前から国主導による社会保障政策として、各種の社会保険法が存在した。最初の立法は1922年(大正11年)成立の健康保険法である。まだ、資本主義が未発達(9割が第一次産業に従事)の時代である。しかし、世界的には社会保障が拡大していた。背景には、1917年のロシア革命、1919年ILO誕生を経て労働者保護の国際的なルールが確立された。1918年米騒動など日本でも労働争議が起きた時代である。
ヨーロッパでは資本主義の発展に伴い新しい階層として労働者階層が生まれ、社会の安定のために労働者による組合(友愛組合)の発展や社会不安を取り除く為に社会保険立法が設立していた。日本では、労働者の自主的な共済組織が未発達であった為、国主体で1938年(昭和13年)国民健康保険法、1944年(昭和19年)厚生年金保険法による社会保険が始められた。この社会保険創設期、日本独自の特徴として労使の一体化、農民等第一次産業への社会保険の適用をしたことである。ヨーロッパの創設期は、職場連帯であり、社会連帯を謳う様になったのは戦後である。日本では資本主義の遅れ、明治以降の先進資本主義国家による植民地支配の回避の為、国を一つにまとめる必要性(天皇中心主義、軍事力の拡大)から、当初から社会連帯であり戦前から皆保険が発展していく。この歴史同様に年金制度も初期から日本は労使一体化であり、高度成長期にホワイトカラー・ブルーカラーと区別はされるようになるが、社会保障は同一の仕組みに所属している。
2-2.戦後混乱期の社会保障
戦後の混乱期は、生活保護中心の緊急対策として実施された。福祉の機能は空白の時代である。GHQによる「公的責任」の強調であり社会保険は機能をしていなかった。この時期の日本は、工場は軍事産業化され空爆による被害が大きかった。また、アジア各地の植民地から日本への引き上げが500万人に達し失業者、生活困窮者対策、不衛生対策が緊急の課題であった。1946年(昭和21年)旧生活保護法、翌年には戦災孤児として大量に存在していた浮浪児対策による児童福祉法、戦争による負傷者対策である身体障害者法が出来た。生活困窮は公的対応・国の責任で社会福祉政策が行われた。昭和30年代以降になり生活・社会保障の開始の時代となる。
2-3.高度経済成長時代の社会保障政策
1950年(昭和30年)GDP(当時GNP)が、戦前のピークを超えた。1951年の経済白書で「もはや戦後ではない」と記され日本は経済大国へと発展していく。経済発展は、農業から工業へ、軽工業から重工業へと産業・就業構造に大きな変化をもたらした。働く場を求めて農村部から都市へと人口移動が起こり、農村部では過疎・医療不足(無医村)、都市部も含めても経済成長に乗り遅れた経済弱者(貧困問題)と負の面にも直面する。また、この時期は人口高齢化の始まりでもあった。
社会保障制度は、朝鮮戦争による特需から再び機能を果たすようになる。経済・医療の発展と伴に医療機器・新薬による医療の高度化・高額化が進む。第一次産業従事者の保険は任意加入(加入率は約半数)であり高額化する医療費の対価を払える仕組みではなかった。経済格差から政策は、「救貧から坊貧」へ政策目標は変わった。そして、強制加入の国民皆保険・皆年金が1961年(昭和36年)成立した。
当時、約3千万人が無保険だった。支払う所得がない人々を保険に加入することは財源バランスが崩れる。これにより国の責任が前面に押し出され、補助から国庫負担による財政負担、医療過疎への対応など税財源の社会保障への負担が拡大した。ヨーロッパでは医療保険は国が支出しないことからも日本の制度は負担が多いといえるが、当時の日本はヨーロッパほど高齢者が多くなく、高度経済成長の時期であり、負担感が少なく福祉充実が可能の時代であった。圧力団体による経済果実の分配が政治の仕事になり、福祉・年金充実はその後も拡大した。
年金は、サラリーマンは労働力が資本であり老後は生活手段がない。このことを保障するのが年金制度である。対して農民などは老後に土地、機械を跡継ぎに渡せば暮らせる生産手段をもった人たちである。しかし、日本は高度成長期に急変した労働市場の変化により若い世代が都市部へ移住、農村部は老人だけが取り残された。農民にも年金(福祉年金)を配ることが社会の要請になった。
給付拡大に対処するため年金は賦課方式へ移行を始めた。しかし、賦課方式は次世代で対応する年金方式であり、跡継ぎがいない為の国民年金に取り入れたことは無理があった。また、昭和48年には老人医療無料化、年金の自動物価スライドの導入(当初は5% 以上でスライド発動)、老人福祉年金の大幅拡大給付を実施した。これら高齢者及第一次産業従事者や地方が弱者として防貧対策が行われた結果、昭和30年から50年にかけて社会保障給付費は3893億円(4400円/人)から11兆7693億円(10万5千/人)、一般会計における社会保障関係費の占める割合も10%から18.5%へ拡大した。老人医療無料化など福祉元年と言われた。この年、秋に第一次オイルショックが起き福祉の終わりの年でもあった。これ以降はこの年までバラまかれたお金の回収をする時代になる。
2-4.経済低成長における80年代の制度改革
オイルショック後の経済成長の鈍化により、財政赤字は拡大を続け人口高齢化も同時に進んだ。1980年代、中曽根内閣による増税なき財政再建と称して行財政改革、社会保障のスリム化が求められた。財政再建による国庫負担削減を目的とした改革であり、企業・サラリーマンに負担がシフトした改革であった。国民意識としても経済成長中であり、格差是正は受けいれる風潮の時代であった。
財政法は、公共事業(四条国債)のように、資産として後に残す事業以外の借金は原則として認めていない。この時期、特例国債(赤字国債)見直しだけが着手された。財政再建は、将来を見通した変革ではなく、単年度シーリングによる予算抑制により実施され社会保障もスリム化を求められた。
この行政改革により国鉄・電電公社など国営企業の民営化による売却資金は、今までの借金の清算に使われなかった。無利子融資による地方にばらまき、新たな公共事業への投資となり、バブル経済による税収入の拡大も基金を利用した融資となり財政再建の機会を逃したが、10%超の経済成長を必要とする制度から低成長でも維持可能な制度へは軌道修正された。
この時の改革における社会保障の具体的なスリム化については、①老人保険制度の創設、②健康保険制度の改革、③年金制度の改革の3点がある。
①昭和58年の老人保険制度の創設については、昭和48年の老人医療無料化以後、高齢者医療費の急増により国・企業(7割を負担)共に制度崩壊へ向かっていた。無就労の高齢者は国民健康保険が受け皿になるが、同保険は保険負担をしている人が少なく矛盾している。政治的にも元の3割の自己負担に戻すことが出来ないことから、形式的には国民保険とし元に所属していた健保が給付(半分は国庫負担)し2割負担とする退職者医療制度を創設し、70歳からは定額の後期老人保険制度と分別した。自身が所属しない他のグループを含む皆で負担する形式とし立ち行かなくなる国保救済を図った。
②昭和59年の健康保険制度の改革は、退職者医療制度が創設された。また、被保険者の医療費については、従前まで初診料のみで自己負担がなかったが、本人の1割負担を導入した。それまでの高度成長期では給付率を上げることを重視していたので給付を下げることは大きな転換期を意味した。政治は、将来全ての保険制度を統一(2割)することで決定した。
③昭和61年改正の年金制度改革は、国民年金の崩壊を防ぐために給付を下げる内容であった。高度成長期に短期積立て者への給付を上げたことにより満期者の水準も上がった。当時は、満期対象者が少なく寿命も短かった。しかし、国民年金は若い人が入ってこない年金制度である。これを賦課方式(若い人が支える方式)にしたことに矛盾があった。少子化前の厚生年金(国負担1/3)は、年金受給者が少なく勤労世代が多かった。対して、国民年金は、逆の構図である。この二つを組み合わせることで、バランスを取ろうとしたのが基礎年金である。結果、国庫負担を減らし、32年満期から40年満期へ給付を減らすことが目的で改正された。
2-5.バブル後の社会保障
1989年に消費税(3%、1997年5%改正)を導入した当時の政権与党(自民党)は平成元年の衆議院選で大敗。この年に高齢者保健福祉増進10カ年戦略(ゴールドプラン)が始まる。
バブル崩壊以降、税投入が難しい時代となり高齢者対策は難しくなる。平成6年から改革検討を始め、平成9年に介護保険の制度設計を行い、平成12年から介護保険が始まった。この時期、いずれ回復すると思われていた出生率が回復せず1.57まで下がった。80年代の改革は、バブル崩壊以降に様々な問題が表面化した時代であった。橋本内閣では福祉分野での地方分権の進展を目指したが大きな改革は出来なかった。
続く小渕内閣では、経済・財政の拡大路線を選択し、若年者高額負担を棚上げにすることにより、薬剤費負担の廃止分を捻出、サラリーマンの保険負担が3割になった。三位一体改革による地方での税利用を行った小泉内閣まで大きな改革は持ち越された。この時、後期高齢者保険を創設するが、後の政権与党になる民主党により廃止された。
3.社会保障を取り巻く現在の日本の状況
現在の日本は、人口の高齢化、低成長・マイナス成長による経済状況の変化、雇用形態の変化に伴い意識の変化が起きているといえる。社会保障は、苦しい生活を避けようとする人間本来の欲求から、高度成長期には社会保障の充実を行う制度となっていた。しかし、意識の変化に伴い、制度も理念や質が時代に対応出来ないと継続・支持されなくなる。社会保障の量ではなく質を時代の要請に合わし継続可能な状態にソフトランディング出来るかが試されている。
3-1. 人口構造の変化
社会保障の不安原因の一番大きな点として、長寿命化と少子化による人口の高齢化がある。2000年までは、寿命の延びによる高齢化が進んだ。2010年には世界一の長寿国になり、少子化による加算が増え、高齢化(=高齢者/総人口→長寿/少子化→超高齢化)が急激に進んだ。100年後に総人口が半分と言われていたが、このままでは1/3のペースである。高齢化に大きな影響を及ぼす少子化は、1973年の第1次オイルショックをターニングポイントに出生率が下がり続けることになる。日本は、合計特殊出生率(以下、出生率)が2.07であれば人口増減は起こらないが、現在は1.37程度。近代化による多産多死から多産少子、少産少子になり、女性の社会進出からの晩婚化・非婚化、夫婦の出産パターンの変化による2段階で出生率は低下した。ヨーロッパで摘出でない子の割合が大きい国は、少子化が止まりつつある。日本は、結婚と出産がセットになっている社会風潮であり晩婚化と少子化の影響も直接的な関係にある。
3-2.近年の社会保障の給付費
高齢者率の増加は、年金額の増加を意味する。しかし、医療費は年金費の伸び率は同じではない。年々増加はしているが毎年差が拡大している。他の先進資本主義諸国は、日本以上に医療費と高齢化率との関係性は見いだせない。米国は、現役層が高度な医療を行う人が多い。ヨーロッパでは、日本のように高齢者のみ優遇された医療政策をとる国がない。
近年の日本では、生活保護と失業保険の比率が多くなっている。他の社会保障給付金のシェアは変わらない。戦後の高度成長(9.1%)、安定成長(4.2%)、ゼロ成長(0.8%)を経て、現在はマイナス成長の時代に入ったといえる。租税弾性値による減収も加わり税負担となる国庫金も減っている。社会保険料も正規労働者が前提の仕組みで非正規労働者が34%以上を占める現在、未納者も多く保険収入が減っており過去の黒字を補填している状態である。日本独自の概念に国民負担率(租税負担+社会保障負担/国民所得)がある。これは負担の重さではなく政府の分配割合を示すものである。現在は、廃止されたが、2000年以降負担率の高い国の経済が伸びている。ある意味、国民がどれだけ国家を信用するか否かを示す指標ともいえる。実際の負担は、率が高くても変わらないことから、国に対する国民の信任とも言える。国民の質が高くカントリーリスクが少ない国の見直しもされている。
3-3. 雇用情勢の変化
ヨーロッパ諸国は、経済成長率は回復しているが失業率は下がっていない。今現在、ケインズが示したような完全雇用政策を採用している国はない。グローバル経済において、ケインズの示す政策を採用することは逆に悪い結果を招いてきたからである。また、世界全体での需要拡大が鈍化している中、自社だけが大量拡大路線を採用するリスクを考え、利益の出る企業構造になることより雇用を抑えている側面もある。完全失業率も若年層が高く、社会全体が終身雇用から不安定な雇用へ移ってきている。雇用体系に合わせた保険制度の再考も必要である。老後への将来に対する不安も年代に関係なく高い。高度成長期のように成長の恩恵にあずかれなかった社会的弱者の救済から現在の低成長期にはすべての人の不安解消になる社会保障政策が求められる。
4.社会保障これからを考える
2012年12月、自民党安倍第二次内閣が誕生した。戦後初めて行われた民主党による政権交代は、小泉構造改革路線を変更すると公約したが、大きな制度変更も成果なく日本は無駄な時間を浪費し民主党は自ら崩壊した。小泉構造改革は、戦後進められた「国土の均衡ある発展」の政策変更であった。中央政府による地方への再配分から、民間の資金は民間に貫流させる政策であった。世界的な国際競争に勝つ企業を育てる政策、失業者の抑制も兼ねて雇用規制の緩和も行った。また、赤字の公共事業抑制の為に支出の元である財投改革を目指し郵政民営化の改革を実行した。しかしながら、これは財務省が郵貯・簡保に変わる財源として市場から調達して公団等への貸し付けを継続する財投改革を行ったことにより効果は発揮できなかった。また、借入金の多さから未だに郵政民営化は出来ていない。結果として、この構造改革は財政再建の改革のみであった。
これかたの社会保障には、雇用の流動化によって生じた社会保険の空洞化に対して、社会保険の一元化を目指す必要がある。また、今後は経済成長を前提とした先送りによる社会保障は維持できない。潜在成長率が3%程度では新自由主義社会でも企業が生き残ることは難しい。改革してもGDPは3%程度の延びでしかない。今後は、仕送りをするのではなく、蓄えは自分の為に使用し、負担を分かち合い競争社会の中でも安全の為の十分な給付のある高齢化にも対応できる社会保障の制度が必要である。
(以上より、経済成長を前提とすれば)
高齢化が進む日本において、社会保障制度の持続可能性を確立するには国家の安定的な経済成長を実現する必要がある。経済状況の安定がなければ、社会保障制度の根幹が揺らぐ。また、持続可能な社会保障制度がなければ国家として安心できる社会が維持できず、国の安定的な経済成長という長期的な安定が損なわれる。これらを両立するための分析を行い、合理的な政策の体系を整え各施策と連携した制度設計を構築することが求められている。
現在の日本は、少子高齢化が急速に進み、若年労働者は減少を続ける見通しであり年齢別の就労人口の構成が大幅に変化している。制度も再構築しなければ持続しない。例えば、年金は、保険という形態を賦課方式で採用している。賦課方式は、人口構成に依存せざる得ないことから、現状のままでは給付の抑制か保険徴収の増大かの2択の中でバランスをとるしかない。現状の社会保障給付がどこまで削減でき、現状の40%程度の国民負担率をどこまで許容するか。現在の日本では、家を守る文化がなくなり個の生活。高齢者の受ける給付水準と労働者負担のバランスを得るには国民の納得できる制度設計が必要になってきている。これら、労働者の減少に対して国際競争力を維持・発展する政策と高齢化に伴う医療や介護への需要に対する効率的な政策の両立が必要である。
(番外編)
この前提にたっているのは、年金であれば世代間の不公平の根本は、過去の積立て不足や支払うお金の根拠不明瞭な点ではないのであろうか。確かに今までの日本は、物価・所得・人口が急激に上昇する高度成長期あった。積み立て人口が多く、将来のインフレ率、積立金の社会への投資など賦課方式にメリットがあったともいえる。しかし、低成長期の日本において、年金という“保険”である以上、貯金通帳のように毎月掛け金を国民各自に印字(明確化)すべきであろう。過去の精算に必要な借金はいくらで今後支払うことが出来る費用はいくらと。まず、現状の不信のままで給付削減を行うと本当に信用されなくなる。この明示化・可視化を怠ると信用が揺らぎ維持・継続は困難ではないだろうか。貯金通帳のような制度変更は困難であろうが、今のままで過去の清算が出来るとも思わない。正しい現状認識の上で議論を始めなければならない。
私は、これからの低成長期においては、積み立ての運用は日本経済に連動しても良いのでないかと思う。金利は、本来インフレ率を上回るはずである。年金は、安定した制度であるべきと承知しているが、国債に日本株式(場合によっては日径平均株価連動ファンドも)で運用結果を示して社会連帯を感じる制度も検討の余地があるのではないかと思う。国債などの使い道にも、もっと国民の関心を引くべきである。貯蓄する国民性もあり、支払った分と受け取りが明確であれば上乗せして掛けさせることも運用次第で可能であろう。制度の安定性及び強制としての徴収に運用方法として整理すべき点はあるが、全て明快であるべき保険を賦課方式で不透明に運用している点をまず改善すべきである。
更に、制度変更が覆せるのであれば、賦課方式でなく、社会扶助として給付すべきと思う。高度成長期にモデル化した家族構成に今後の制度設計では固執は出来ない。扶助として一定の貯蓄を認めた上で必要な人たちには給付すれば良い。給付を減らすべき新たな政策を国は策定して国民を自立させる道をとるであろう(私は、子供の介護を使用しているが民間業者と契約する。ある意味、画期的な方法と感じている。従来、公が行うべき分野の扶助に大枠だけ公の制度。民が運営。公と民のミックスが、これからの公の取るべき道と感じる)。
今後、新たな政策を作成する場合、現状の日本人の個人貯蓄をいかに現在の国の借金と置き換えるかも重要な点である。高額貯蓄者の相続税も可能な限り高率で良いといえる。現状の制度のままで、徴収による課税強化一辺倒の措置は国による個人貯蓄の盗みになってしまう恐れもある。この国の現状を明らかにしながら、個人貯蓄の資産を、国が徴収(置き換え)しなければならない現実があるのではないだろうか。
社会福祉論
グローバル化の現在、公共事業で完全雇用を目指すケインズ主義を採用している国はない。サッチャー改革の継続版である新自由主義も合成の誤謬に至っている現在、選択すれば社会不安になる。
小泉内閣の「改革無くして成長なし」は、潜在成長率が3%程度の先進国において、改革しても3%しか成長しない政策であった。社会保障の安定なき改革(競争)は社会不安により、民主党に変わったが、統治能力の面、党内向きの恣意的政治により自ら崩壊した。
安倍第二次内閣は、資金増量のインフレ政策をとる見込みであるが、先進国の成長率は無いに等しく、需要が無い中での資金の増量は、生産に向かわず、投機化に向かう懸念がある。
今までの日本は、金融緩和しても国の借金は国債(国内の貯蓄でまかなう)に向かい、帰結として円高要因になった。小泉内閣の郵政民営化の本質の一つである財投資金の遮断も財務省が先に財投改革により、市場を介した国債による資金供給を開始し、公団等の赤字公共事業は無くなることはなく、財務省の権限は従来同様のままである。
今現在の国の政策において、前提に立っている考えは、経済成長を前提としている点であり、成長しなければ矛盾が出る。確かに今までの日本は、物価・所得・人口が急激に上昇する高度成長期あった。享受する人口が後世の方が多ければ分かる。年金などの賦課方式は積み立て人口が多いことより将来のインフレ率、積立金の社会の投資など賦課方式にメリットがあった(随分昔の話しであるが、未だにその方法を継続中)。
しかし、先進国は低成長期であり、日本はゼロ成長(成長しない)と考えて、政策を組む時期である。賦課方式は人口構成に依存する。生産年齢人口は減り続ける見通しの中で、過去の借金・現在の政策維持の借金を現在の個人資産と置き換える政策があるわけでもない。常用雇用が前提の社会保険は支払いをしていない非正規社員の急増で空洞化している。競争社会において、安定した社会保障の確立(安心して競争出来る社会)が急務な時期に公共事業での雇用創出で安心した社会が構築出来るか疑問がある。
社会保障の安心が国家の安定を生み、投資を呼び込むことは北欧の例からも一定の結果が期待できる。結果として効率的な国費の使い道であると解釈出来る。しかし、日本は社会保障費の縮小、公共事業の拡大を選んでいる。復興特需の後の政策転換を今決めておかなければ不安定な政治の繰り替えし(またか・・・)がくる。
社会保障論 概要
1.ヨーロッパ福祉国家における社会福祉政策論の変遷について
第二次世界大戦後、福祉国家を目指した先進資本主義国家は、3つのステップを経て、3つの異なる方法で福祉国家を目指している。
従前は、社会が成功すると福祉国家となる。政策は、一つの方法に収斂すると思われていた。しかし現在、福祉施策は国毎で違う。社会安定の扶助か経済成長の補助的機能か明確な答えは見つかっていない。
過去の施策は短期間(20年程度)でしか成立せず、3つの変遷をたどった。答えは見つかっていないが、社会保障を放棄する選択肢は選んでいない。歴史の産物といわれる社会保障政策。先進資本主義のヨーロッパ福祉国家はどのような道筋を経たのか。
第二次世界大戦後、先進資本主義国家は福祉国家を国是とした。この時、ケインズ主義 (経済政策※1)とベバレッジ主義(社会政策※2)が福祉国家の理念を支えた。
これは、資本主義は経済主義からきている。経済は、民間経済が発展することが基本。発展は、最終需要である家計消費の裏付けがなければ経済サイクルの循環に入らず、投資による経済発展は失速する。経済状況は浮き沈みがあり資本主義の危機を回避する為、社会保障政策を組み入れることにより国家の安定を目指した。
この2つの理念は、戦争による国家の拡大から、民間による所得需要の拡大を通して貧困回避と経済拡大による福祉国家がヨーロッパに拡がり国民国家へ変貌した。この過程においては戦争を通じての国民連帯とブレトン・ウッズ協定下での事実上の一国封鎖経済により、福祉国家の発展を助けた。イデオロギーの終焉、資本主義の黄金時代であり、利益対立を避けつつ経済発展が可能な時代であった。
しかし、この2つの理念に支えられた福祉国家は、民間の利益を公共事業等による利益再配分を行う形で実践された。圧力団体に応じて配分することが政治の役割となり配分先は増えるばかりであった。
ここに第1次オイルショック、ブレトン=ウッズ体制の崩壊を契機に低成長下でのスタグフレーションの状況となり、再配分を行う高コスト社会を維持できなくなった。福祉国家は、政府の巨大化を生み、圧力団体が生み出す公共事業は、需要と目的のギャップが生じた。これらは経済危機に荷担をした。貧困対策は、道徳的な退廃を招き社会秩序の点からも内容の整理が必要とされた。
※1 ケインズ主義
自由経済を修正し雇用を重視した社会を提唱した。国家が支配・管理をせず経済と政治を切り離した自由競争による経済発展を通じた国家の発展には、右肩上がりの経済成長が必要であった。ケインズ主義は、危機的な状況になる前に国家が経済に介入して、需要低迷下では国家が公共事業等で需要を起こし雇用を確保することにより、完全雇用による経済の安定を確保することを目的とした。
※2 ベバリッジ主義
資本主義では、労働者は労働力を社会に売買することで対価を得るが、完全に人という個人と労働力を分離出来ないことから、労働者保護として規制がなされ資本主義の維持装置としてきた。これを国家政策として格上げし社会統合のシステムと変容すべく、貧困をなくしナショナルミニマムを保障して底上げ方式で豊かな社会を創ろうと提唱した。背景には当時の英が独との戦争に備え国が一つにまとまる必要性から、チャーチル政権下で戦後の荒廃した国家を立て直す政策としたベバリッジ報告がなされたことによる。
資本主義の黄金時代は去った。1970年代後半から80年代初頭に福祉国家の危機打開モデルとして3つの方策がとられた。
1つめは、フランスなどで実践したケインズ主義の徹底である。フランスは1981年からミッテラン(社会党)による改革(初期)が実施された。財政支出の拡大、金融・産業の国有化、ワークシェアリング、年金拡充を実施したが2年で立ち行かなくなった。競争力の低い国内企業による需要拡大策は、競争力に勝る外国製品に敗れ、輸入の急増、資本の海外流出をもたらした。フランは輸入が急増しているにも関わらず自国通貨が急落した。一国閉鎖経済でない時代にケインズ政策は無力であった。
2つめの方策は、イギリスのサッチャーによる改革である。サッチャーは小さな政府・財政均衡を目指した。この改革は、4つの柱(「個人の労働意欲の増進」「国家の役割減少」「財政赤字の縮小・民間部門の拡大」「労働組合の力の抑制」)からなり、25%・年を超えるインフレの英国病と呼ばれた経済を立て直した。特に財政支出の縮減では、国営企業の売却により国の負債を減らした。財政指数を変えず運営しGDPで2倍の赤字を減らした。また、社会保障改革では、サービス提供の民営化、実物給付から所得保障と内容を変化させた。私的年金への移行を可能にし、国民医療についても民間の参入を促した。これらは、完全雇用を目標とせず、経済復興による雇用の創出を目指した。圧力団体に屈しない強い政府は英国病を克服し、一定の成果を得た。
3つめは、スウェーデンに代表されるネオ・コーポラティブ(※3)的再編である。スウェーデンも当初、フランスと同様に社会保障の充実・減税を柱とした政策を行ったが経済政策の失敗、第二次オイルショックを得て1982年より負担を分かち合う政策として基金を設立した。政府・労働者・資本家の各代表による協議で利害を調整し、政策の合意決定を行う寡占的な政治システムであり、国会は事後承認の機能となり民主主義の否定とも解釈もされる。当初インフレの下落などの効果を得たが、自由競争の要求、各代表に入れない利益団体の不参加への押さえ込みなどが、徐々に困難になっていった。
※3 共同体主義(コーポラティブニズム)は、世界で始めて強制加入の社会保険を創設するなど社会政策を行ったビスマルクの帝政社会主義でも同義を使用する為、区別のためにネオ・コーポラティブとなる。
先進資本主義国の共通点として、経済成長の抑制要因に出生率の低下による人口構成変化がある。若年層の減少と高齢化。移民による雇用の奪い合い、環境問題による大量消費型国家の否定により、社会保障の充実は、直接的に社会コストの増大であり競争力の低下を招いた。人・モノ・金のボーダレスが進むグローバル化の中で福祉施策は国毎に違う。この時期、英国の政策を取り入れた米国が再び世界経済の王者になった。
イギリスは、1987年サッチャーが再選挙で勝利し、メイジャーへと政策は引き継がれた。1997年労働党のブレアに変わるが財政緊縮の経済政策などサッチャー路線の継続を行った。福祉政策においては、資本主義における救済者を地域のステークホルダーとして活用するなど福祉政策の修正を行い第3の道(新自由主義)で福祉国家を成立させた。
対してネオ・コーポラティブ社会は、失業率(スウェーデンで7~8%)が改善しなかった。競争力のある企業は多くの就労を必要としない。賃金抑制、各代表も重厚長大型企業から時代の変化と共にサービス業の発達等で寡占が難しくなり崩壊をしていく。
これらを経て、今現在のヨーロッパの福祉国家は3類型に分かれた形で進んでいる。いずれも雇用の維持、福祉コストの削減、付加価値税・新たな中立増税により社会保険料編重の見直しが取り入れられている。
3類型の一つ目は、自己責任が原則、新自由主義の継続である自由主義。イギリスが取り入れるこの方策が90年代唯一生き残った政策(マクロ経済で約3%成長)である。しかし雇用の拡大が起きず、成長を皆が実感できない問題点がある。勝者なき競争政策で格差・社会の不安定が生まれた。世界が成長している間に有効な政策であり、成長なき時代では政策として不足がある。
二つ目に北欧が取り入れた施策として、国民全てに福祉がある普遍主義型。現在は、経済の安定の為、一定の給付はされるが皆が完全平等な保障ではない。社会コストが大きい方法である。給付を押さえつつ福祉への個人の支払いに応じて給付変動を取り入れ継続している。スウェーデンでは、勤勉な国民性、社会の安定によりカントリーリスクが低いことによる海外からの投資が増えている状況がある。
三つ目にドイツ・フランスで取り入れている施策として、労働者が独自に創った原点に戻ろうとしている保守主義型。保険料は常用雇用にのみ適用され税で保障される内容と厳密に区別されている。これら3つは、給付に対しての負担方法をめぐる区別である。経済成長にも依存するものであり、社会保障政策と経済政策は同義であり労働保護政策から社会としてのインフラ政策へと変遷をたどってきた。
2.近代日本における社会保障政策の変遷
近代日本の政策変遷は、5つの大きな区分けが出来る。
1.戦前における社会保障の前史
2.戦後の混乱期に生活保護を主とする社会福祉の要請に伴い制度の形が出来た時期
3.高度経済成長からオイルショックまで続く、経済の成長と伴に社会保障が拡大された社会保障中心時期の時期
4.オイルショック後から1980年代におけるヨーロッパ福祉国家の危機の時代における日本の福祉政策見直しの時代
5.バブル崩壊から失われた10年と言われた1990年代以降、社会保障の根幹が揺らいだ再構築の時代。
2-1.社会保障の前史
日本では戦前から国主導による社会保障政策として、各種の社会保険法が存在した。最初の立法は1922年(大正11年)成立の健康保険法である。まだ、資本主義が未発達(9割が第一次産業に従事)の時代である。しかし、世界的には社会保障が拡大していた。背景には、1917年のロシア革命、1919年ILO誕生を経て労働者保護の国際的なルールが確立された。1918年米騒動など日本でも労働争議が起きた時代である。
ヨーロッパでは資本主義の発展に伴い新しい階層として労働者階層が生まれ、社会の安定のために労働者による組合(友愛組合)の発展や社会不安を取り除く為に社会保険立法が設立していた。日本では、労働者の自主的な共済組織が未発達であった為、国主体で1938年(昭和13年)国民健康保険法、1944年(昭和19年)厚生年金保険法による社会保険が始められた。この社会保険創設期、日本独自の特徴として労使の一体化、農民等第一次産業への社会保険の適用をしたことである。ヨーロッパの創設期は、職場連帯であり、社会連帯を謳う様になったのは戦後である。日本では資本主義の遅れ、明治以降の先進資本主義国家による植民地支配の回避の為、国を一つにまとめる必要性(天皇中心主義、軍事力の拡大)から、当初から社会連帯であり戦前から皆保険が発展していく。この歴史同様に年金制度も初期から日本は労使一体化であり、高度成長期にホワイトカラー・ブルーカラーと区別はされるようになるが、社会保障は同一の仕組みに所属している。
2-2.戦後混乱期の社会保障
戦後の混乱期は、生活保護中心の緊急対策として実施された。福祉の機能は空白の時代である。GHQによる「公的責任」の強調であり社会保険は機能をしていなかった。この時期の日本は、工場は軍事産業化され空爆による被害が大きかった。また、アジア各地の植民地から日本への引き上げが500万人に達し失業者、生活困窮者対策、不衛生対策が緊急の課題であった。1946年(昭和21年)旧生活保護法、翌年には戦災孤児として大量に存在していた浮浪児対策による児童福祉法、戦争による負傷者対策である身体障害者法が出来た。生活困窮は公的対応・国の責任で社会福祉政策が行われた。昭和30年代以降になり生活・社会保障の開始の時代となる。
2-3.高度経済成長時代の社会保障政策
1950年(昭和30年)GDP(当時GNP)が、戦前のピークを超えた。1951年の経済白書で「もはや戦後ではない」と記され日本は経済大国へと発展していく。経済発展は、農業から工業へ、軽工業から重工業へと産業・就業構造に大きな変化をもたらした。働く場を求めて農村部から都市へと人口移動が起こり、農村部では過疎・医療不足(無医村)、都市部も含めても経済成長に乗り遅れた経済弱者(貧困問題)と負の面にも直面する。また、この時期は人口高齢化の始まりでもあった。
社会保障制度は、朝鮮戦争による特需から再び機能を果たすようになる。経済・医療の発展と伴に医療機器・新薬による医療の高度化・高額化が進む。第一次産業従事者の保険は任意加入(加入率は約半数)であり高額化する医療費の対価を払える仕組みではなかった。経済格差から政策は、「救貧から坊貧」へ政策目標は変わった。そして、強制加入の国民皆保険・皆年金が1961年(昭和36年)成立した。
当時、約3千万人が無保険だった。支払う所得がない人々を保険に加入することは財源バランスが崩れる。これにより国の責任が前面に押し出され、補助から国庫負担による財政負担、医療過疎への対応など税財源の社会保障への負担が拡大した。ヨーロッパでは医療保険は国が支出しないことからも日本の制度は負担が多いといえるが、当時の日本はヨーロッパほど高齢者が多くなく、高度経済成長の時期であり、負担感が少なく福祉充実が可能の時代であった。圧力団体による経済果実の分配が政治の仕事になり、福祉・年金充実はその後も拡大した。
年金は、サラリーマンは労働力が資本であり老後は生活手段がない。このことを保障するのが年金制度である。対して農民などは老後に土地、機械を跡継ぎに渡せば暮らせる生産手段をもった人たちである。しかし、日本は高度成長期に急変した労働市場の変化により若い世代が都市部へ移住、農村部は老人だけが取り残された。農民にも年金(福祉年金)を配ることが社会の要請になった。
給付拡大に対処するため年金は賦課方式へ移行を始めた。しかし、賦課方式は次世代で対応する年金方式であり、跡継ぎがいない為の国民年金に取り入れたことは無理があった。また、昭和48年には老人医療無料化、年金の自動物価スライドの導入(当初は5% 以上でスライド発動)、老人福祉年金の大幅拡大給付を実施した。これら高齢者及第一次産業従事者や地方が弱者として防貧対策が行われた結果、昭和30年から50年にかけて社会保障給付費は3893億円(4400円/人)から11兆7693億円(10万5千/人)、一般会計における社会保障関係費の占める割合も10%から18.5%へ拡大した。老人医療無料化など福祉元年と言われた。この年、秋に第一次オイルショックが起き福祉の終わりの年でもあった。これ以降はこの年までバラまかれたお金の回収をする時代になる。
2-4.経済低成長における80年代の制度改革
オイルショック後の経済成長の鈍化により、財政赤字は拡大を続け人口高齢化も同時に進んだ。1980年代、中曽根内閣による増税なき財政再建と称して行財政改革、社会保障のスリム化が求められた。財政再建による国庫負担削減を目的とした改革であり、企業・サラリーマンに負担がシフトした改革であった。国民意識としても経済成長中であり、格差是正は受けいれる風潮の時代であった。
財政法は、公共事業(四条国債)のように、資産として後に残す事業以外の借金は原則として認めていない。この時期、特例国債(赤字国債)見直しだけが着手された。財政再建は、将来を見通した変革ではなく、単年度シーリングによる予算抑制により実施され社会保障もスリム化を求められた。
この行政改革により国鉄・電電公社など国営企業の民営化による売却資金は、今までの借金の清算に使われなかった。無利子融資による地方にばらまき、新たな公共事業への投資となり、バブル経済による税収入の拡大も基金を利用した融資となり財政再建の機会を逃したが、10%超の経済成長を必要とする制度から低成長でも維持可能な制度へは軌道修正された。
この時の改革における社会保障の具体的なスリム化については、①老人保険制度の創設、②健康保険制度の改革、③年金制度の改革の3点がある。
①昭和58年の老人保険制度の創設については、昭和48年の老人医療無料化以後、高齢者医療費の急増により国・企業(7割を負担)共に制度崩壊へ向かっていた。無就労の高齢者は国民健康保険が受け皿になるが、同保険は保険負担をしている人が少なく矛盾している。政治的にも元の3割の自己負担に戻すことが出来ないことから、形式的には国民保険とし元に所属していた健保が給付(半分は国庫負担)し2割負担とする退職者医療制度を創設し、70歳からは定額の後期老人保険制度と分別した。自身が所属しない他のグループを含む皆で負担する形式とし立ち行かなくなる国保救済を図った。
②昭和59年の健康保険制度の改革は、退職者医療制度が創設された。また、被保険者の医療費については、従前まで初診料のみで自己負担がなかったが、本人の1割負担を導入した。それまでの高度成長期では給付率を上げることを重視していたので給付を下げることは大きな転換期を意味した。政治は、将来全ての保険制度を統一(2割)することで決定した。
③昭和61年改正の年金制度改革は、国民年金の崩壊を防ぐために給付を下げる内容であった。高度成長期に短期積立て者への給付を上げたことにより満期者の水準も上がった。当時は、満期対象者が少なく寿命も短かった。しかし、国民年金は若い人が入ってこない年金制度である。これを賦課方式(若い人が支える方式)にしたことに矛盾があった。少子化前の厚生年金(国負担1/3)は、年金受給者が少なく勤労世代が多かった。対して、国民年金は、逆の構図である。この二つを組み合わせることで、バランスを取ろうとしたのが基礎年金である。結果、国庫負担を減らし、32年満期から40年満期へ給付を減らすことが目的で改正された。
2-5.バブル後の社会保障
1989年に消費税(3%、1997年5%改正)を導入した当時の政権与党(自民党)は平成元年の衆議院選で大敗。この年に高齢者保健福祉増進10カ年戦略(ゴールドプラン)が始まる。
バブル崩壊以降、税投入が難しい時代となり高齢者対策は難しくなる。平成6年から改革検討を始め、平成9年に介護保険の制度設計を行い、平成12年から介護保険が始まった。この時期、いずれ回復すると思われていた出生率が回復せず1.57まで下がった。80年代の改革は、バブル崩壊以降に様々な問題が表面化した時代であった。橋本内閣では福祉分野での地方分権の進展を目指したが大きな改革は出来なかった。
続く小渕内閣では、経済・財政の拡大路線を選択し、若年者高額負担を棚上げにすることにより、薬剤費負担の廃止分を捻出、サラリーマンの保険負担が3割になった。三位一体改革による地方での税利用を行った小泉内閣まで大きな改革は持ち越された。この時、後期高齢者保険を創設するが、後の政権与党になる民主党により廃止された。
3.社会保障を取り巻く現在の日本の状況
現在の日本は、人口の高齢化、低成長・マイナス成長による経済状況の変化、雇用形態の変化に伴い意識の変化が起きているといえる。社会保障は、苦しい生活を避けようとする人間本来の欲求から、高度成長期には社会保障の充実を行う制度となっていた。しかし、意識の変化に伴い、制度も理念や質が時代に対応出来ないと継続・支持されなくなる。社会保障の量ではなく質を時代の要請に合わし継続可能な状態にソフトランディング出来るかが試されている。
3-1. 人口構造の変化
社会保障の不安原因の一番大きな点として、長寿命化と少子化による人口の高齢化がある。2000年までは、寿命の延びによる高齢化が進んだ。2010年には世界一の長寿国になり、少子化による加算が増え、高齢化(=高齢者/総人口→長寿/少子化→超高齢化)が急激に進んだ。100年後に総人口が半分と言われていたが、このままでは1/3のペースである。高齢化に大きな影響を及ぼす少子化は、1973年の第1次オイルショックをターニングポイントに出生率が下がり続けることになる。日本は、合計特殊出生率(以下、出生率)が2.07であれば人口増減は起こらないが、現在は1.37程度。近代化による多産多死から多産少子、少産少子になり、女性の社会進出からの晩婚化・非婚化、夫婦の出産パターンの変化による2段階で出生率は低下した。ヨーロッパで摘出でない子の割合が大きい国は、少子化が止まりつつある。日本は、結婚と出産がセットになっている社会風潮であり晩婚化と少子化の影響も直接的な関係にある。
3-2.近年の社会保障の給付費
高齢者率の増加は、年金額の増加を意味する。しかし、医療費は年金費の伸び率は同じではない。年々増加はしているが毎年差が拡大している。他の先進資本主義諸国は、日本以上に医療費と高齢化率との関係性は見いだせない。米国は、現役層が高度な医療を行う人が多い。ヨーロッパでは、日本のように高齢者のみ優遇された医療政策をとる国がない。
近年の日本では、生活保護と失業保険の比率が多くなっている。他の社会保障給付金のシェアは変わらない。戦後の高度成長(9.1%)、安定成長(4.2%)、ゼロ成長(0.8%)を経て、現在はマイナス成長の時代に入ったといえる。租税弾性値による減収も加わり税負担となる国庫金も減っている。社会保険料も正規労働者が前提の仕組みで非正規労働者が34%以上を占める現在、未納者も多く保険収入が減っており過去の黒字を補填している状態である。日本独自の概念に国民負担率(租税負担+社会保障負担/国民所得)がある。これは負担の重さではなく政府の分配割合を示すものである。現在は、廃止されたが、2000年以降負担率の高い国の経済が伸びている。ある意味、国民がどれだけ国家を信用するか否かを示す指標ともいえる。実際の負担は、率が高くても変わらないことから、国に対する国民の信任とも言える。国民の質が高くカントリーリスクが少ない国の見直しもされている。
3-3. 雇用情勢の変化
ヨーロッパ諸国は、経済成長率は回復しているが失業率は下がっていない。今現在、ケインズが示したような完全雇用政策を採用している国はない。グローバル経済において、ケインズの示す政策を採用することは逆に悪い結果を招いてきたからである。また、世界全体での需要拡大が鈍化している中、自社だけが大量拡大路線を採用するリスクを考え、利益の出る企業構造になることより雇用を抑えている側面もある。完全失業率も若年層が高く、社会全体が終身雇用から不安定な雇用へ移ってきている。雇用体系に合わせた保険制度の再考も必要である。老後への将来に対する不安も年代に関係なく高い。高度成長期のように成長の恩恵にあずかれなかった社会的弱者の救済から現在の低成長期にはすべての人の不安解消になる社会保障政策が求められる。
4.社会保障これからを考える
2012年12月、自民党安倍第二次内閣が誕生した。戦後初めて行われた民主党による政権交代は、小泉構造改革路線を変更すると公約したが、大きな制度変更も成果なく日本は無駄な時間を浪費し民主党は自ら崩壊した。小泉構造改革は、戦後進められた「国土の均衡ある発展」の政策変更であった。中央政府による地方への再配分から、民間の資金は民間に貫流させる政策であった。世界的な国際競争に勝つ企業を育てる政策、失業者の抑制も兼ねて雇用規制の緩和も行った。また、赤字の公共事業抑制の為に支出の元である財投改革を目指し郵政民営化の改革を実行した。しかしながら、これは財務省が郵貯・簡保に変わる財源として市場から調達して公団等への貸し付けを継続する財投改革を行ったことにより効果は発揮できなかった。また、借入金の多さから未だに郵政民営化は出来ていない。結果として、この構造改革は財政再建の改革のみであった。
これかたの社会保障には、雇用の流動化によって生じた社会保険の空洞化に対して、社会保険の一元化を目指す必要がある。また、今後は経済成長を前提とした先送りによる社会保障は維持できない。潜在成長率が3%程度では新自由主義社会でも企業が生き残ることは難しい。改革してもGDPは3%程度の延びでしかない。今後は、仕送りをするのではなく、蓄えは自分の為に使用し、負担を分かち合い競争社会の中でも安全の為の十分な給付のある高齢化にも対応できる社会保障の制度が必要である。
(以上より、経済成長を前提とすれば)
高齢化が進む日本において、社会保障制度の持続可能性を確立するには国家の安定的な経済成長を実現する必要がある。経済状況の安定がなければ、社会保障制度の根幹が揺らぐ。また、持続可能な社会保障制度がなければ国家として安心できる社会が維持できず、国の安定的な経済成長という長期的な安定が損なわれる。これらを両立するための分析を行い、合理的な政策の体系を整え各施策と連携した制度設計を構築することが求められている。
現在の日本は、少子高齢化が急速に進み、若年労働者は減少を続ける見通しであり年齢別の就労人口の構成が大幅に変化している。制度も再構築しなければ持続しない。例えば、年金は、保険という形態を賦課方式で採用している。賦課方式は、人口構成に依存せざる得ないことから、現状のままでは給付の抑制か保険徴収の増大かの2択の中でバランスをとるしかない。現状の社会保障給付がどこまで削減でき、現状の40%程度の国民負担率をどこまで許容するか。現在の日本では、家を守る文化がなくなり個の生活。高齢者の受ける給付水準と労働者負担のバランスを得るには国民の納得できる制度設計が必要になってきている。これら、労働者の減少に対して国際競争力を維持・発展する政策と高齢化に伴う医療や介護への需要に対する効率的な政策の両立が必要である。
(番外編)
この前提にたっているのは、年金であれば世代間の不公平の根本は、過去の積立て不足や支払うお金の根拠不明瞭な点ではないのであろうか。確かに今までの日本は、物価・所得・人口が急激に上昇する高度成長期あった。積み立て人口が多く、将来のインフレ率、積立金の社会への投資など賦課方式にメリットがあったともいえる。しかし、低成長期の日本において、年金という“保険”である以上、貯金通帳のように毎月掛け金を国民各自に印字(明確化)すべきであろう。過去の精算に必要な借金はいくらで今後支払うことが出来る費用はいくらと。まず、現状の不信のままで給付削減を行うと本当に信用されなくなる。この明示化・可視化を怠ると信用が揺らぎ維持・継続は困難ではないだろうか。貯金通帳のような制度変更は困難であろうが、今のままで過去の清算が出来るとも思わない。正しい現状認識の上で議論を始めなければならない。
私は、これからの低成長期においては、積み立ての運用は日本経済に連動しても良いのでないかと思う。金利は、本来インフレ率を上回るはずである。年金は、安定した制度であるべきと承知しているが、国債に日本株式(場合によっては日径平均株価連動ファンドも)で運用結果を示して社会連帯を感じる制度も検討の余地があるのではないかと思う。国債などの使い道にも、もっと国民の関心を引くべきである。貯蓄する国民性もあり、支払った分と受け取りが明確であれば上乗せして掛けさせることも運用次第で可能であろう。制度の安定性及び強制としての徴収に運用方法として整理すべき点はあるが、全て明快であるべき保険を賦課方式で不透明に運用している点をまず改善すべきである。
更に、制度変更が覆せるのであれば、賦課方式でなく、社会扶助として給付すべきと思う。高度成長期にモデル化した家族構成に今後の制度設計では固執は出来ない。扶助として一定の貯蓄を認めた上で必要な人たちには給付すれば良い。給付を減らすべき新たな政策を国は策定して国民を自立させる道をとるであろう(私は、子供の介護を使用しているが民間業者と契約する。ある意味、画期的な方法と感じている。従来、公が行うべき分野の扶助に大枠だけ公の制度。民が運営。公と民のミックスが、これからの公の取るべき道と感じる)。
今後、新たな政策を作成する場合、現状の日本人の個人貯蓄をいかに現在の国の借金と置き換えるかも重要な点である。高額貯蓄者の相続税も可能な限り高率で良いといえる。現状の制度のままで、徴収による課税強化一辺倒の措置は国による個人貯蓄の盗みになってしまう恐れもある。この国の現状を明らかにしながら、個人貯蓄の資産を、国が徴収(置き換え)しなければならない現実があるのではないだろうか。