緩和医療におけるリスクコミュニケーションの目的と成立する条件
緩和医療 ◆ リスクコミュニケーションの目的と成立する条件
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「看取り」で緩和医療の臨床が終わる。患者及びその家族は、どのような緩和医療を望んでいるのであろうか。緩和医療は、進行・末期・ハイリスクがん患者等とその家族が、より長く、より良い生活を送れることを目的としている。家族が最後まで付き合うことが出来その後、立ち直れる状態であること。医療者も最後まで付き合うことが出来、別の患者さんにも向き合える力が残しておく必要がある。
結果として正解があるかどうかは分からない分野であるが、回答が出せないのではなく、回答は患者本人や家族が最後まで付き合えるなど生活の中に隠れていることが多いことから、一緒に回答を生み出し続けることが必要である。最後の看取りは、患者を中心とした人間関係の最終評価。医療者として、患者の揺ぎ無い存在意義を共有できるコミュニケーションをとる姿勢が、患者及びその家族の求める深い想いに手を尽くした良い緩和医療といわれている。
死を間近に意識しながら、生きる人を支える緩和医療は、治すことの限界を感じる医療でもある。社会の進歩・発展と共に医療の高度化が進み生活の質も向上した。体の劣化状況、医療効果を数字で管理・評価し、最大便益の方法で選択することが医療の正解という帰結があった。
しかし、緩和医療の治療には、すぐそこに限界がある。医療者として「出来ること・出来ないこと」の明確化が求められる。もうやれる医療がないと言われる患者や家族に、死という帰結に対する行動。人生においても守るべき役割分担が生じ、患者や家族の生活ストーリーが変わる。死ぬための医療でもある。故に、患者とその家族の心の扱い。各自のストーリーを重視した質的な医療には、量的データの数字を基にした評価の論理的な説得だけでなく、感情をもとにした情動的な説得も時には必要になる。
死の際で遭遇するつらさを乗り越える取り組みを一緒になって実践していく姿勢、知識を活用して、つらさを和らげる行為。患者が乗り越えられにくいものを乗り越えるようになる為に、知識・概念・技術・行動のシステム等の「知の体系」からだけなく、人との向き合い方、理性的・情緒的な方法などからも越え方からも探す必要がある。
情動という心のエネルギーに、エネルギーを行動に代える体。理性による方法付け。理性でつながる成熟した関係をもつことがリスクのある状態においてのコミュニケーションに不可欠である。人は、人とのつながりの中から立ち上がる。このように緩和医療では、人と人とのつながり、関係性がコミュニケーションの成立に必要である。治らない医療にデータだけで示しても心は動かないであろう。
コミュニケーションの成立には、医療者は、積極的な聞き手になる必要がある。専門家として断定的表現や保険的表現を避ける対応も状況によっては必要となる。人は相手の主要な価値が、自分と同じ価値を共有していると感じられるときに、その相手を信頼する。
数字を基にした理論的な説得だけでなく、感情をもとにした情動的な説得が必要な理由である。社会や患者が動かすもの、信頼できるものは、時にはデータであり、時にはストーリーとなる。
状況により仕組みと人の関係を考える必要も求められる。このように医療者は情況を見通す必要がある。医療として手を尽くす。そして、状態を引き取る。良い緩和医療の一つの形は、患者及びその家族とプロセスを共有しながら進める。そして、説得に十分考慮する。
説明には、悪い知らせもある。悪い知らせを伝えるとき、患者は、将来への見通しを根底から否定的に変えてしまうものでもある。悪い知らせ(情報)が悪いのは、患者の期待と医学的現実に差があるからである。情報を伝える際の注意点として、伝えること自体を目的としない。先送りにしない。悪い情報と一緒に良い情報も伝えるなど方法を考える。
また、説明にうそを用いるときは、うそ自体が道徳的・非道徳なものでもないことに注意を払う。うそは、単なるコミュニケーションの形態に過ぎない。その道徳的価値が判断されるのは、他者との関係においてどのように用いられるかによってである。相手がうそと言えば、うそになる。だから、うそを用いない方が良い場合もある。例えば、癌患者にプラセボを使わない理由として、「相手との信頼関係の悪化」「薬が効かない事による自分の体への不信」「心の面の痛みであることは把握できる」自分にうそをつかない。自分に何が出来て何が出来ないかを把握して見失わない説明が大事である。
医療の判断では、ライフ・ストーリー・メディシンのように、医療決断を行う上で、患者のライフストーリーを共有していく作業も重要である。
患者及び家族が、医療行為の目標や現実的な側面を理解し、意志決定力が乏しい患者への治療継続の検討などの難しい局面では、一時点での意志決定だけでなく、それまでの人生の文脈に沿った、その人らしい医療上の決断を複数の視点から時間をかけて行うことも一例である。
それには末期症状になるまでに双方向コミュニケーションが成熟し、決定プロセスの共有、多様な価値観の共存、個の成熟が出来ていることが必要である。
そして、患者側にたった医師としての判断を明確に伝える。患者側にも理解できる時間的余裕を持たせる配慮も必要である。情報の伝達・開示から反応の調整(治療的面談)・関係性の構築と進めていく。
患者は、聞きたくない情報は受け止められない傾向がある。患者や家族には受け止めない自由もある。その結果を享受する責任もある。そして、選ぶ行為の共有も大事である。
それには、患者と家族の語りから始める方法もある。やれることやれないことと皆の役割の認識。出口の認識。患者と家族が採用する代わりのストーリーを共有する。80歳には80歳の、10歳には10歳の死生観とストーリー。
医療者は、患者の利益と損失の便益を最大限におきながら、問題解決においては、急におきる問題には「結果重視」の姿勢で望み、時間をかけておきる問題は「過程重視」、ペースが変化する問題は「関係性重視」と対応を変えながら支援する。
患者の自己決定権、利益優先、説明と同意、契約的信頼が根底にあり、透明性と検証責任の社会的視点が医療者には求められる。社会的視点は、正義・公正の視点・倫理(ルール)が必要である。しかし、生死に関わる危機的状況では、医療はルールだけで語れない面もある。医療者は、最後の瞬間まで持ち得る全てを実践し、ぎりぎりまで行動しても無理な局面では、自己都合ではなく、事象の優先順により行動する心構えがいる。
医学は科学である。医療やケアは癒・技術の面がある。癒しには、哲学的な知と愛が必要である。また、科学の定義は、自然法則に沿って説明が出来ることである。
経験で検証が可能であり、結論はあくまで仮説である。そして、反証できること。真に科学的とは絶対的な真実であると考えることではなく、そこに反証されうる曖昧さが残っていることを認める姿勢である。科学的な事実と推論は別物である点を認識する必要がある。
緩和医療の現場は、「生命の終わり」に遭遇すると共に「生命の始まりと成長」の場でもある。治すことの限界は癒すことの必要を生み、ホスピスケアが誕生し、緩和ケアへと発展した。社会的能力の維持から家庭生活の維持、身体的能力の維持、精神的状態の維持と症状緩和による生活を楽しむ期待が緩和医療における治療への期待である。人として産まれ、人として生活し、死んでいく上で当たり前のことである。
この当たり前のことに携わり、患者のQOLの維持と尊厳の為、治療プロセスの共有から、患者本人の内発的動機付けを生み、病気に立ち向かうエネルギー源を誕生させる。死を理解することで、生きていけるようになる。それは、コミュニケーションが成立した時ではないだろうか。
